2023年10月26日
理化学研究所、日本原子力研究開発機構
東京大学、科学技術振興機構

磁石によるうろこ模様で回る音波を制御
-人工格子デザインで「左回り」「右回り」の読み出しに成功-

概要

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子ナノ磁性研究チームのホルヘ・プエブラ研究員、東京大学物性研究所のリーヤン・リャオ大学院生、大谷義近教授(理研創発物性科学研究センター量子ナノ磁性研究チームチームリーダー)、日本原子力研究開発機構先端基礎研究センターの山本慧研究副主幹(科学技術振興機構(JST)さきがけ研究者、理研開拓研究本部柚木計算物性物理研究室客員研究員)らの共同研究グループは、基板の表面に磁石を用いたうろこ状の周期的な模様(パターン)を形成することで、その表面を伝わる音波に「バレー」(valley、谷)と呼ばれるある種の回転状態を与え、磁場によって、その「バレー音波」の左回りと右回りを区別して制御できることを明らかにしました。

本研究成果は、バレー音波の回転状態に0と1のビットを割り振ることで、省エネルギーで過酷環境でも動作する新たな情報処理デバイスの開発に貢献すると期待されます。

今回、共同研究グループは、固体表面に磁石の正三角形パターンを周期的に敷き詰めた構造を作製しました。この表面を伝わる音波は三角形を左回りするか右回りするかに対応した「バレー自由度」を獲得します。磁場をかけることによって時間反転対称性[1]を破ることにより左右のバレーを区別することが可能になり、片方のバレー音波だけが優先的に表面を透過する状況を実現しました。バレー自由度はこれまで自然界に存在する結晶材料で研究されてきましたが、その制御は非常に困難でした。本研究の人工的にデザインされた格子によるバレー制御の実証は、バレーの技術応用に向けた大きな進歩であるといえます。

本研究成果は、科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(10月23日付)に掲載されました。

回転方向の選択肢としてのバレー自由度と時間反転対称性の関係

背景

物理現象にはさまざまな二値性が存在し、例えば電極の正負や磁石のN極S極などはあらゆるところで応用されています。特にこれらの性質に0と1をビットとして割り振ることで、CPUやメモリなどの演算・記憶装置において情報処理を実現しています。

グラフェン[2]の発見により、バレー(valley、谷)と呼ばれる新たな二値性が認知されるようになりました。バレーは結晶のように周期的な構造を持つ材料にだけ見られる現象で、そこを伝わる波の種類が実効的に2倍に増えます。例えばグラフェンにおける電子の波や変形の疎密波は二つの「バレー自由度」を持っており、バレーに対応した二つの状態はそれぞれ左回りと右回りのある種の回転する波であると考えられます。グラフェンに電圧をかけると電流が流れますが、実はその電流は左回りと右回り2種類の電子流から構成されています。しかし右回りと左回りの電子が等量含まれるため、回転は打ち消し合って電流には現れません。回転の左右を区別するためには、磁気的な測定が必要となります。

物理学者はこのバレー自由度を実験的に分離して観測し、さらに回転方向ごとに個別に制御する研究を行ってきました。バレー自由度が存在することを直接確かめることに基礎的重要性があるからというだけでなく、この新しい二値性が将来的に情報処理に役立つ可能性もあると期待してのことです。しかし、グラフェンのような自然界に存在する結晶材料での実験は困難であることが分かってきました。その一因はバレー自由度が現れる波の波長が、結晶の周期に対応して、1ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)程度以下と非常に小さい点にあります。一方バレー自由度の応用上の利点は、周期構造さえあれば波の種類を問わず共通の原理で運用できることで、他の材料系においても実現されれば新しい活用の可能性が広がる余地があります。

研究手法と成果

共同研究グループは、人工的に作製した周期構造を用いてバレー自由度を作ることによって、結晶材料よりもはるかに制御しやすい1マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)ほどの波長領域で実験ができることに着目しました。対象とする波としては、固体の表面に沿って伝わる表面音波を選択しました。表面音波はスマートフォンなどで電波のフィルターとして応用されており、ごく薄い金属膜を材料表面に配置することでその性質を精密に制御することができます。

今回の研究では、図1に示すようなうろこ型パターンの周期構造(三角格子)を、磁石であるニッケル膜(厚さ20nmのニッケルの上にチタンの保護層15nm)を用いて作製しました。基板には圧電体[3]であるニオブ酸リチウムを用いており、パターン領域の左右に配置した電極を使って表面音波が周期構造を透過する際の透過率を測定します。パターンの外側から入射する波は平面波で進行方向と垂直な波面を持っています。この平面波はパターンによってさまざまな方向に散乱されますが、波長をパターン構造の周期と合わせることで、正三角形の辺方向に沿って伝わる波だけが干渉によって強め合って生き残るようにデザインされています(図2a)。これによって左から右にパターン構造を透過する音波は正三角形を左回りに回る(これを左バレーと名付ける)波面を、右から左に透過するものは右回りに回る(これを右バレーと名付ける)波面を、それぞれ持つように調整できます。この左右の回転する波面の区別がバレー自由度と呼ばれており、パターン加工された領域では実効的に表面音波が2種類に増えた状態になっています。パターン領域におけるこれら二つの回転状態が、表面加工されていない領域でそれぞれ左右に伝わる波に変換されるため、左右への透過率を別々に測定することで、バレー自由度を分離して調べることができます。

図1 実験セットアップの模式図
基板の表面に表面音波の発生・検出両用の電極と磁石であるニッケルを用いた三角格子を作製。三角格子に入射した音波は散乱・吸収されて減衰したのち、透過波として観測される。

過去の研究では、このような三角格子を非磁性金属によって作製していましたが、その場合バレーに対応する音波の左右2状態の性質は等価になります。その結果、透過率測定においては、左から入射しても右から入射しても透過率が同じになります。左バレーと右バレーに対応する音波は回転方向が逆なので、それぞれの時間を逆回しにしたものとぴったり重なるからです。このような性質を時間反転対称性と呼びます。磁気にはこの時間の正逆方向の対称性を破る性質があります。例えばニッケルの磁化(磁石としての強度を示すベクトル)が面に垂直な方向を向くと、左バレーの音波と右バレーの音波の干渉効果に差が生じると考えられ、時間を逆に回すだけでは互いに重ならなくなります(図2b)。バレーの物理、磁気と対称性の関係、そして表面音波の制御技術それぞれに関する知見を適切に組み合わせて、バレー自由度を生み出す三角格子を磁石で作製することによって、左バレーと右バレーの性質に違いを与えて2状態を制御した点が、今回の研究における重要なポイントになります。

図2 音波のバレー自由度と透過率の関係
(a)三角格子に入射した音波はさまざまな方向に散乱されるが、適当に波長を調整することで正三角形の辺方向への散乱波だけが干渉で強め合う状況を作ることができる。この場合左から入射する音波は左回転する波面を、右から入射する音波は右回転する波面を作り、それらは時間反転対称性によって全く等価な性質を持つ。
(b)磁場をかけると時間反転対称性が破れ、右回転する波面を持つ音波だけが磁石によって強く吸収される状況を作ることができる。

図3に表面音波透過率測定の結果を示します。縦軸は左に透過する音波の振幅から右に透過する音波の振幅を引いた量を全透過率で規格化した値になっています。二つのバレー自由度が等価である場合はゼロになります。横軸は外部からかけた磁場の値です。磁場がゼロのときはニッケルが磁化していないため左右の回転運動が時間反転対称になっており、結果として左右透過率の差もゼロです。磁場をかけるとニッケルが磁化して、時間反転対称性が破れます。三角格子を伝わるバレー音波はニッケルの磁化と磁気弾性結合[4]によって相互作用しますが、右バレーと左バレーの音波では磁化との結合の強さが異なります。例えば面に垂直な方向に磁化した場合は右バレーの音波が左バレーの音波よりも強く磁化と結合するため、より強く磁石によって吸収されます。従って、左への透過率が右への透過率よりも小さくなります。磁場の符号を変えると磁化の方向も反転して左回転の結合が強くなって、透過率の大小関係も反転します。

図3 表面音波透過率の差の磁場依存性の測定結果
縦軸は適当に規格化された透過率の差で、左右から入射する音波が等価でない度合いの指標となる。横軸は外部からかけた磁場の値で、磁場の符号の正負と回転の方向は対応しているため、透過率の差も磁場の正負によって符号を変える。

この結果から、三角格子構造と磁性体の磁場制御を組み合わせることで、磁場によって表面音波のバレー自由度を選択し、どちらか一方のバレー音波を透過率の差として検出できることが明らかになりました。このことは、人工的に作製した周期構造においてバレー制御を達成した最初の例といえます。

本研究では、表面音波と磁石を用いた人工周期構造の組み合わせに着目することで、自然界に存在する結晶材料では非常に困難であったバレー自由度の分離観測と制御を、外部磁場中の表面音波透過率測定で達成できる装置をデザインし実証しました。これまでの研究と比較して平易な方法でバレーの明瞭な区別が可能になり、左右バレー分離のメカニズムも理論モデルとよく整合して、バレー制御の理解を大きく前進させる研究成果といえます。

今後の期待

情報処理における0と1の担い手として、電気や磁気の自由度と比較した場合、バレーの自由度はどのような波であってもうまく周期構造を準備しておけば原理的には利用可能であることが利点です。今回の研究はそれを表面音波で実証しましたが、音波は電流や磁気の波と比較してエネルギー損失が小さく、省エネルギー化に役立つ可能性があります。電気伝導性に依存する金属や半導体と比較して、絶縁体でも利用可能な音波は熱や放射線の影響も受けにくいと考えられ、過酷環境での使用にも適しています。バレー自由度の利用はまだ原理実証の段階であり、応用されるまでには時間がかかるかもしれません。しかし本研究成果を受けて、今後さらに工夫された周期構造がデザインされれば、多様な回る波が実現されるでしょう。それらの中から実用的な技術が発展していくと考えられ、今後の展開が注目されます。

論文情報

<タイトル>
Valley-Selective Phonon-Magnon Scattering in Magnetoelastic Superlattices

<著者名>
Liyang Liao, Jorge Puebla, Kei Yamamoto, Junyeon Kim, Sadamichi Maekawa, Yunyoung Hwang, You Ba, and Yoshichika Otani

<雑誌>
Physical Review Letters

<DOI>
10.1103/PhysRevLett.131.176701

補足説明

[1] 時間反転対称性

物理法則における最も基本的な対称性の一つ。時間の向きを逆回しにしても物理法則の形が変わらないときにその法則は時間反転対称性を持つという。例えば、電場だけが存在する空間中を運動する電子の運動方程式は、時間反転対称性を持つ。しかし、磁場も存在する場合は電子に働く力としてローレンツ力が加わる。ローレンツ力は電子の速度に比例するが、速度は時間を逆回しにすると符号が変わるため、磁場は電子運動の時間反転対称性を破る。

[2] グラフェン

炭素原子から成る蜂の巣型の結晶構造を持つシート状(二次元)の物質。グラファイトの多層構造をセロハンテープによって原子1層まで薄く剥離できることが2004年に発見され、2010年のノーベル物理学賞の対象となった。二次元材料のモデル物質として現在も精力的に研究されている。

[3] 圧電体

電圧が加わると膨張・収縮または歪みなどの変形が生じる特殊な物質。圧電体を用いて、電気信号と力学的振動(すなわち音波)を相互に変換する素子を作ることができる。

[4] 磁気弾性結合

固体中において磁化を担うミクロな磁石である電子スピンは、固体の変形によってその分布や周辺環境が変化することに応答して向きを変える。また反作用として、磁化の方向が変わると固体は微小に変形する。このような変形と磁化の相互作用を磁気弾性結合と呼ぶ。どのような磁石にも磁気弾性結合は存在するが、ニッケルにおいては比較的大きくなることが知られている。

共同研究グループ

本研究は、理化学研究所が実験装置の開発や試料作製、測定とデータ取得において中心的な役割を果たしました。実験データを解析するための理論の構築と運用は日本原子力研究開発機構が主導して行われました。東京大学物性研究所は実験の構想、実験データの解析において大きく寄与しました。

理化学研究所 創発物性科学研究センター
量子ナノ磁性研究チーム
  研究員      ホルヘ・プエブラ (Jorge Puebla)
 研究員      ジュンヨン・キム (Junyeon Kim)
  特別研究員    ユウ・バ (You Ba)
強相関理論研究グループ
  客員主管研究員  前川禎通 (マエカワ・サダミチ)
東京大学 物性研究所
  大学院生     リーヤン・リャオ (Liyang Liao)
(大学院新領域創成科物質系専攻 博士過程1年)
  大学院生     ユンヨン・ホワン (Yunyoung Hwang)
(大学院新領域創成科物質系専攻 博士過程3年)
  教授       大谷義近 (オオタニ・ヨシチカ)
  (理研 創発物性科学研究センター 量子ナノ磁性研究チーム チームリーダー)

日本原子力研究開発機構 先端基礎研究センター
スピン-エネルギー科学研究グループ
  研究副主幹    山本 慧 (ヤマモト・ケイ)
(JSTさきがけ研究者、理研 開拓研究本部 柚木計算物性物理研究室 客員研究員)

研究支援

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(S)「コヒーレント磁気弾性強結合状態に基づく高効率スピン流生成手法の開拓(研究代表者:大谷義近)」、同若手研究「マグノニック結晶におけるスピン波非相反性に関する理論研究(研究代表者:山本慧)」、同基盤研究(B)「力学回転とスピンの相互変換(研究代表者:前川禎通)」、同特別研究員奨励費「対称性の破れた超格子におけるボゾン磁気輸送(研究代表者:Liyang Liao)」、および科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「トポロジカル材料科学と革新的機能創出」の研究課題「非相反表面波:材料科学に使えるアノマリー(研究代表者:山本慧)」、同CREST「実験と理論・計算・データ科学を融合した材料開発の革新」の研究課題「ナノ構造制御と計算科学を融合した傾斜材料開発とスピンデバイス応用(研究代表者:能崎幸雄)」、「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出」の研究課題「ナノスピン構造を用いた電子量子位相制御(研究代表者:永長直人)」、「情報担体を活用した集積デバイス・システム」の研究課題「非古典スピン集積システム(研究代表者:齊藤英治)」、ならびにLANEF(Laboratoire d’Alliances Nanosciences-Energies du Futur)のChair of Excellence採択課題 ”QSPIN - Quantum spinconversion functionalities in magnon - phonon coupled systems”(研究代表者:大谷義近)と理研戦略的パートナー連携事業「単一励起マグノン・フォノントランスデューサーの開発」による助成を受けて行われました。

参考部門・拠点:先端基礎研究センター
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